社長奥さんコラム

落穂拾い

2012.01.24
一年間、このブログを続けさせていただき、あれこれと過ぎ去ったことどもに思いを巡らせたり、身辺の由無しごとを見直したりと、貴重な機会を頂戴致したものと有難く存じております。
振り返り、何と行動半径の狭い私なのかと、今更ながら呆れています。唯、無為に過ごしたわけではないと自分を慰め、締めくくりとして、書き足りなかったこと、あとから思い出したりしたことを書かせていただきます。
酒造りは、今年の猛暑でお米の出来が心配されましたが、農家の方の御努力で、滞りなく酒米が入荷、杜氏達も変わらぬ情熱と工夫で仕込み、やはり300年間、いろいろな気候変動の中で培ってきた経験は大きかったと思います。
10月23日には、今年一番の新酒の蔵出しがおこなわれ、慣例の「蔵びらき」には、1000人もの愛酒家で酒蔵が埋まりました。
さらに、22酒造年度新酒の鑑評会では、連続一位を受賞、幸先よい年になりました。和やかで楽しいお酒の酔をお届けできること、本当に有難くうれしいことです。
玉堂美術館では、こちらもお蔭様で、平成23年4月に開館50周年を迎えます。その当時は、昭和36年、まだまだ戦後の傷跡は深く、物資も不足勝ちでありましたが、香淳皇后様をはじめ、全国のファンの方々のご芳志により完成し、今に至っております。
建物は、日本の現代数寄屋造りの大家として著名な吉田五十八氏(よしだいそや・1894~1974)の設計によるものであり、日本の名園にも選ばれた簡素な枯山水形式の庭園は、中島健氏(なかじまけん・1914~2000)の設計です。
このお二人の文化勲章受章者のコラボによる玉堂美術館は、日本建築および日本造園の古き雅の落着きと、新しいエスプリを併せ持つ傑作と高く評価されています。
また私には玉堂作品の美と眼前の山並みや渓流の美とをつなぐ建物であり、庭であると思えます。
お二人の仕事を大切に保存し、いつまでも人々が集い、安らぎ、感動する場所として、これを後世に伝えるのが、私の最後のつとめでもあるのでしょう。
玉堂美術館は、なお、皆様からのお声がかりにより、50周年記念事業として、増改築を計ることになりました。高齢者のためのバリアフリー化と同時に、小品用の展示室を新設するというもので、この冬より着工し、来春、4月には再出発の一歩を踏み出す予定です。工事中の休館やご不便をおわび申しあげます。
私にとって一番楽しい野鳥の世界では、今年の特筆事項として「山せみ」のブームがありました。「川せみ」の仲間で、背中に黒と白の鹿の子斑があり、頭の冠毛が立派です。大きい鳥ではありませんが、冠毛のせいか頭でっかちに見える、かわいい渓流の鳥です。
この鳥が丁度、「ままごとや」の真正面の藪の中に巣をつくり、夜明けと共に、餌を求めて川の上を飛び、ままごとやのお座敷のガラスにうつる我が姿が気になって欄干にとまったりするのです。
野鳥ウオッチングのカメラマンの方々、大方停年後の方なのでしょう。毎日、20人程が、朝から望遠レンズ付きで三脚付きのカメラを担いで、川べりの楓橋の上に並んでいらっしゃいます。
毎朝、そこを通る私も、迷彩服を着た小父様方と会話をするのも楽しみでした。時々は、カメラをのぞかせていただいたりして、いい風景だと思うのですが、他所では邪魔にされることも多いようで、「この辺の人はやさしいねえ」とニコニコ。単に物好きなだけなのですが・・・・・。
寒山寺の鐘声も相変わらず、余韻をのこして川をくだって行き、たまには、どなたがお吹きになるのか、お堂の見晴台の上から、嫋嫋(じょうじょう)とした尺八の音が聞こえます。渓風にのってどこまで届くことでしょう。得難いひとときです。
白秋碑は、忘れ去られたように、「澤乃井園」の木陰に佇んでいますが、最近は子供の頃なじんだ白秋の童謡を耳にすることもなくなり、淋しいことです。
白秋といえば雀ですが、しみじみいいお話もあります。白秋は失意、貧乏のどん底時代に、葛飾の在で雀ばかり眺めて暮らし、雀の随筆や歌を作りました。当時再婚した妻、章子(あやこ)は、雀が屋根の上でチョンチョンと跳ねる音を「フェアリーのダンス」と言って白秋を喜ばせたそうですが、折りにかなって伝える言葉の優しさや力とは、なんとすばらしいものでしょうか。そんな言葉を使える人が多くなったら、きっと世の中が温かくなると思います。
章子はこんなことも言ったそうです。食べるにこと欠く暮らしなのに、雀達に米をやる白秋に腹も立てず、「私達が食べられなくなったら、雀達がお米を一粒ずつ運んで来てくれるでしょう」と。まさに昔話の世界です。
その後、白秋は雀の歌と随筆で評判になり、詩人としての評価を得ることができたのでした。白秋の歌、二首。
木にとまり雨を観ている子雀の
頭ぬれ居り圓き頭の
葦の穂に縋りつつゐる雀
羽ばたきの間も幽かなるかな
もう一度、すべての生き物と同じ謙虚さと天地の恵への感謝を持って、人間が生きられる世界に戻りたい、と切に思います。
最後に、横幕玲子様はじめ、『知の木々舎』の皆様、ご指導いただいた多比羅孝様、毎回お励ましのコメントを頂戴した水野武史様、お目をとめて下さった多くの方々、一年間有難うございました。ご発展を心からお祈りいたしますと共にみんなが幸せな年になりますように、と願っております。
※編集部追記(小澤萬里子氏談)
祖父・玉堂は戦後、絵のお好きな香淳皇后様にご指導申しあげました。1944年71歳の初夏の頃から、宮中に伺って、確か6回だったと思います。
その後は病気のため、お役をご辞退して、前田青邨画伯があとを継がれました。
玉堂は、ご指導に当たったことを家族以外には、殆ど話しませんでしたから、あまり世には知られていないご縁です。
そうしたこともあって、皇后様には玉堂美術館の創設に、ことのほか、お心くばりを賜わりました。

一年間、このブログを続けさせていただき、あれこれと過ぎ去ったことどもに思いを巡らせたり、身辺の由無しごとを見直したりと、貴重な機会を頂戴致したものと有難く存じております。

振り返り、何と行動半径の狭い私なのかと、今更ながら呆れています。唯、無為に過ごしたわけではないと自分を慰め、締めくくりとして、書き足りなかったこと、あとから思い出したりしたことを書かせていただきます。

酒造りは、今年の猛暑でお米の出来が心配されましたが、農家の方の御努力で、滞りなく酒米が入荷、杜氏達も変わらぬ情熱と工夫で仕込み、やはり300年間、いろいろな気候変動の中で培ってきた経験は大きかったと思います。

10月23日には、今年一番の新酒の蔵出しがおこなわれ、慣例の「蔵びらき」には、1000人もの愛酒家で酒蔵が埋まりました。

さらに、22酒造年度新酒の鑑評会では、連続一位を受賞、幸先よい年になりました。和やかで楽しいお酒の酔をお届けできること、本当に有難くうれしいことです。

玉堂美術館では、こちらもお蔭様で、平成23年4月に開館50周年を迎えます。その当時は、昭和36年、まだまだ戦後の傷跡は深く、物資も不足勝ちでありましたが、香淳皇后様をはじめ、全国のファンの方々のご芳志により完成し、今に至っております。

建物は、日本の現代数寄屋造りの大家として著名な吉田五十八氏(よしだいそや・1894~1974)の設計によるものであり、日本の名園にも選ばれた簡素な枯山水形式の庭園は、中島健氏(なかじまけん・1914~2000)の設計です。

このお二人の文化勲章受章者のコラボによる玉堂美術館は、日本建築および日本造園の古き雅の落着きと、新しいエスプリを併せ持つ傑作と高く評価されています。

また私には玉堂作品の美と眼前の山並みや渓流の美とをつなぐ建物であり、庭であると思えます。

お二人の仕事を大切に保存し、いつまでも人々が集い、安らぎ、感動する場所として、これを後世に伝えるのが、私の最後のつとめでもあるのでしょう。

玉堂美術館は、なお、皆様からのお声がかりにより、50周年記念事業として、増改築を計ることになりました。高齢者のためのバリアフリー化と同時に、小品用の展示室を新設するというもので、この冬より着工し、来春、4月には再出発の一歩を踏み出す予定です。工事中の休館やご不便をおわび申しあげます。

私にとって一番楽しい野鳥の世界では、今年の特筆事項として「山せみ」のブームがありました。「川せみ」の仲間で、背中に黒と白の鹿の子斑があり、頭の冠毛が立派です。大きい鳥ではありませんが、冠毛のせいか頭でっかちに見える、かわいい渓流の鳥です。

この鳥が丁度、「ままごとや」の真正面の藪の中に巣をつくり、夜明けと共に、餌を求めて川の上を飛び、ままごとやのお座敷のガラスにうつる我が姿が気になって欄干にとまったりするのです。

野鳥ウオッチングのカメラマンの方々、大方停年後の方なのでしょう。毎日、20人程が、朝から望遠レンズ付きで三脚付きのカメラを担いで、川べりの楓橋の上に並んでいらっしゃいます。

毎朝、そこを通る私も、迷彩服を着た小父様方と会話をするのも楽しみでした。時々は、カメラをのぞかせていただいたりして、いい風景だと思うのですが、他所では邪魔にされることも多いようで、「この辺の人はやさしいねえ」とニコニコ。単に物好きなだけなのですが・・・・・。

寒山寺の鐘声も相変わらず、余韻をのこして川をくだって行き、たまには、どなたがお吹きになるのか、お堂の見晴台の上から、嫋嫋(じょうじょう)とした尺八の音が聞こえます。渓風にのってどこまで届くことでしょう。得難いひとときです。

白秋碑は、忘れ去られたように、「澤乃井園」の木陰に佇んでいますが、最近は子供の頃なじんだ白秋の童謡を耳にすることもなくなり、淋しいことです。

白秋といえば雀ですが、しみじみいいお話もあります。白秋は失意、貧乏のどん底時代に、葛飾の在で雀ばかり眺めて暮らし、雀の随筆や歌を作りました。当時再婚した妻、章子(あやこ)は、雀が屋根の上でチョンチョンと跳ねる音を「フェアリーのダンス」と言って白秋を喜ばせたそうですが、折りにかなって伝える言葉の優しさや力とは、なんとすばらしいものでしょうか。そんな言葉を使える人が多くなったら、きっと世の中が温かくなると思います。

章子はこんなことも言ったそうです。食べるにこと欠く暮らしなのに、雀達に米をやる白秋に腹も立てず、「私達が食べられなくなったら、雀達がお米を一粒ずつ運んで来てくれるでしょう」と。まさに昔話の世界です。

その後、白秋は雀の歌と随筆で評判になり、詩人としての評価を得ることができたのでした。白秋の歌、二首。

木にとまり雨を観ている子雀の
頭ぬれ居り圓き頭の
葦の穂に縋りつつゐる雀
羽ばたきの間も幽かなるかな

もう一度、すべての生き物と同じ謙虚さと天地の恵への感謝を持って、人間が生きられる世界に戻りたい、と切に思います。

最後に、横幕玲子様はじめ、『知の木々舎』の皆様、ご指導いただいた多比羅孝様、毎回お励ましのコメントを頂戴した水野武史様、お目をとめて下さった多くの方々、一年間有難うございました。ご発展を心からお祈りいたしますと共にみんなが幸せな年になりますように、と願っております。

※編集部追記(小澤萬里子氏談)

祖父・玉堂は戦後、絵のお好きな香淳皇后様にご指導申しあげました。1944年71歳の初夏の頃から、宮中に伺って、確か6回だったと思います。

その後は病気のため、お役をご辞退して、前田青邨画伯があとを継がれました。

玉堂は、ご指導に当たったことを家族以外には、殆ど話しませんでしたから、あまり世には知られていないご縁です。

そうしたこともあって、皇后様には玉堂美術館の創設に、ことのほか、お心くばりを賜わりました。

玉堂美術館

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