社長奥さんコラム

仕込唄の聞こえた頃

2012.01.10

我が家は元禄15年創業の造り酒屋。
これから申しあげるのは私が嫁いできた頃、今から5、60年も前のお話です。

秋11月、越後(柏崎の在、鵜川村)から親方(杜氏)に連れられて2、30人の蔵人(くらびと)がやってきて、その年の酒造りが始まります。この人達は只の出稼ぎではなく、伝統と資格のある米作農家の主人や跡取りなのです。頼まれれば越後からでも餅搗きにくる、と云われた骨身を惜しまず働く人達なのです。親方は、蔵元と契約のうえ、その年の造石髙によって必要な人材を集めて入蔵します。品行方正、身体強健な若者達にとって選ばれた職業であり、誇りを持って代々続けてもいるのです。

我が家は当時、2千石程度の規模の家内工業のような酒蔵で、銘柄は「武陽澤乃井」。蔵人達に対する賄いや、仕事関係で泊まりがけでおいでになるお客様の接待などは、すべて女衆の仕事。

見るもの、聞くもの大変なカルチャーショックであるうえにまったく不慣れな労働の中に放りこまれ、自分の時間など持てるわけもなく、夜なべを終われば毎晩、泥のような眠りにつく日々でした。

午前5時、布団の中に切れぎれに聞こえてくるのは、蔵人達が唄う[もと]すり唄。

とろり とーろりと ヤーエ
今する[もと]は
酒に造りて ヤーエ
江戸へー 出すよー

大釜からは濛々と真っ白い蒸気が立ち昇り、蔵人達は朝の寒気をついて立ち働いている頃でしょう。ぬくぬくと布団にもぐってはいられないのです。

大釜のせいろには、30俵の洗米が入れられ、蒸し上がると蒸(ふ)け具合を見てもらうために掌に熱い蒸米をとり、両手で揉み潰しながら丸い煎餅状のものにして親方に差し出します。これを献上といい、煎餅状のものは、ひねり餅といって、よく近所の子供達がおねだりに来たものでした。

OKの出た蒸米は、むしろに拡げられ、種麹(たねこうじ)がまんべんなく混ぜられるといった懇ろな仕事が続いたあと、真っ白な花が咲きます。そしてこれからがいよいよ本仕込みの始まりです。

大きな仕込桶に、蒸米、仕込水、酵母が段階を重ねて投入され、或いは温め、或いは冷やされて次第に酒になっていきます。三段仕込、五段仕込というのがこれで、回数の多い手のかかったものが上級酒といえるのです。[もと]すり唄は木桶を囲んだ蔵人達が櫂棒(かいぼう)を突き入れてもろみを攪拌し、発酵によって発生する炭酸ガスを抜き、酸素を供給する作業に勤しむときの唄です。

この間、雑菌が入って発酵に失敗すると、インフルエンザの流行よりもっと早く、アッという間に、蔵の中の酒が全部腐り、倒産、自殺という悲劇もあるので、ありとあらゆる器具を毎日熱湯消毒、日光消毒を行い、気をゆるめることもできません。

こうして毎日、仕込桶1本ずつ仕込まれた酒は、次ぎ次ぎとしぼられてゆき、酒造りも峠を越した頃、或る年こんなことがありました。

蔵人の故郷の役場では、全国に散らばって半年の間、酒造りに従事し、その間家族の顔も見ないで過ごす村民達を気づかい、また留守居のおかみさん達も安心させてやりたいという親心から、1泊旅行のバスを仕立てておかみさん達一行の酒蔵訪問を企画しました。

こちらでもうれしい限りです。早速近くの旅館を2,3軒借り切り、それぞれの夫婦に個室を用意し、おかみさん達には、当時流行のウールの反物を八王子の問屋に発注して待ち受けます。蔵内は活気に溢れ、蔵人達はいつの間にか全員床屋へ行き男前に変身、「ヤッホ、ヤッホ」と走り廻って女衆達に冷やかされても何のその。

やがて当日、役場の職員に伴われて、おかみさん達が、はにかみつつ到着。勿論全員ばっちりパーマをかけ、まるで集団見合のような有様です。おかみさん達は早速旦那の仕事ぶりを見学し、そろって夕食をとった後、それぞれの宿へと出かけます。親方だけは、責任上やせ我慢、一人酒蔵に残ります。

その夜、それぞれの労働に荒れた武骨な掌を重ねて夫婦はどんな会話をしたのでしょう。蔵人達が毎月送る賃金を大切に神棚に上げ、「たくさんお金を送って下さってありがとうございます」とたどたどしい葉書をよこすおかみさん達は、雪おろしの大変なこと、年寄りや子供達の様子、親類や近所のうわさを心ゆく迄語ったことでしょう。選んだウールの反物を抱え、うれしそうにしている彼女たちの姿は本当に可愛らしく、どんなことでもして上げたいようでした。こんな優しい行政もあったのですね。

そうこうして長い冬も終わり、蔵は重たい扉を閉し、酒は熟成の眠りにつきます。そして私達には酒男の汗が浸みこんだ夜具の洗濯や手入れという仕事が待っています。

現在、酒造りの方法もすっかり変わりました。でも酒造りの精神は決して変わりません。
天は与え、地は恵み、人はそれを受けて育てる。この順序を変えてはならないのです。

おかげ様で今年もいいお酒ができました。 

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